12月 2011

 

ARTS for HOPEのメインプログラムのひとつ「Happy Doll Project」は

4月から12月にかけ、避難所や仮設住宅、学校、児童館など、45ヶ所を訪れました。

たくさんの荷物とたくさんの人の願いを乗せ、被災地を走り続けたアートキャラバンですが

この度、その活動の記録が1冊の本になりました。

行く先々で出会ったたくさんの笑顔と、ユニークで心温まる作品の数々。

もちろん、毎年行っている病院でのワークショップの様子や

患者さんたちのクリエイティブな作品も収録しています。

実はこのHappy Doll Projectの本、2006年から制作を続けており

今回はその第4弾、全180頁フルカラーの超特大版。

年明けには参加者の皆さまにプレゼントするほか

WEBサイトでのチャリティ販売も予定しています。

 

本の制作にあたり、ご支援、ご協力をいただいた皆さま、本当にありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。

相馬 6号線沿いの「たこ八」

「たこ八」の叶姉妹

店内のポスター

松川浦にあった安くて新鮮で美味しいお魚の店「たこ八」
震災でお店が流され、現在地でお店を再開した!

すごくおいしいけど、4時には閉店してしまう。
活動が終わって片付けると、いつも到底間に合わない時間だった。

それがようやく、チャンスはやってきた!
南相馬から東松島へ移動の途中、閉まる直前にぎりぎり間に合った。
美人でやさしい女将さんに、再開までのお話を伺いながら
ホッキ飯弁当が出来上がるのをわくわく待った。
だんなさんお手製シラスの佃煮もサービスに!

宿に着いてからそのお弁当とシラスを、餓死寸前のみんな
無言でがつがつ頂いた。
歯ごたえシャキシャキ、絶品だった!

 

 


お店の明るい看板娘

いつも賑わう中華の店「福来臨」

昼間は南相馬災害FM放送のキャスター 鹿島幼稚園の温かい先生と

南相馬市街地にある中華料理店「福来臨」。

原町商店街で営業をしている数少ないお店の一つである。
始めはここくらいしか開いていなかったので入った。
しかし、ここの料理がまた美味しい。
本当に美味しい!毎日でも食べたい!
かくして、毎月、南相馬を訪れる度にお邪魔するようになった。

震災後、従業員がいなくなったお店を、支援で手伝うようになったという
笑顔の素敵な新妻さん。
実は本職は南相馬災害FMのレポーター兼アナウンサー。

私達の活動の取材に来て下さった事もある。

 

 


男山八幡神社宮司 西道典さん

 

男山八幡神社

とにかく顔が広く、頼りになる南相馬の傑物だ。

神社の宮司のみならず、

南相馬こどものつばさ代表
福島県雅楽会会長
福島県神社庁相馬市部理事
相双テニス協会理事
鹿島小学校PTA会長
南相馬市小中学校PTA連絡協議会会長
福島県PTA連合会副会長
南相馬市生涯学習推進委員
等々

枚挙に暇が無い。

震災後、原発被害から一時避難し、南相馬を離れていたが、
神社もあり、南相馬を建て直し、子どもたちを守るために戻ってきたのだ。

そして
毎月南相馬へ通い、楽しく、笑顔が生まれ、未来を信じられるひとときを、
南相馬のすべての子どもたちへ届けたい!というARTS for HOPEの意志を、
しっかり受け止めて協力して下さっている。

 

 


大高森観光ホテル

 

温かい笑顔で迎えてくれる女将

東松島市に行くといつもお世話になる「大高森観光ホテル」
奥松島に位置する風光明媚な観光地だ。
西田敏行の映画の撮影場所にもなったことがある。

震災後、周辺の民宿やホテルはすべて流され壊滅状態。
この辺でたった1軒、奇跡的に残った強運のホテルだ。

初めてここを探しながら訪れたときは、周りの風景が心底怖かった。
こんなところにホテルが残っているのだろうか?
と、恐る恐る壊れた橋を渡って辿り着いたものだ。

当時から今に至るまで、復興工事の男性しか泊まっていない。
ゆえに私たちが泊まる時は、
男性風呂(女性風呂は壊れて未だに使えない)のドアに、
「30分貸切」と手書きの紙を貼って入る。

全館停電で、懐中電灯でトイレに行ったりお風呂に行ったりもした。
しかいもともと復興工事関係者貸切ホテルに頼み込んで転がり込んだので、
何も文句は言えない。
それどころか体を真っ直ぐ伸ばして眠れるお布団がありがたかった。

9月の台風の時には、朝の4時過ぎにヨレヨレになって到着した我々を、
文句も言わずにご主人は温かく迎えて下さった。
ご主人のお母様、毅然として温かい肝っ玉女将の笑顔もいつも楽しみだ。
この間は、生海苔を煮た手作りの佃煮をお土産に持たせて下さった。

訪れる度にきれいに修繕されていくホテルを見ると、
本当に尊敬し、元気を頂く。

 

 


陸前高田の西條さん

陸前高田の海岸に唯一残った希望の木

陸前高田在住の西條さんは、岩手県で行う私たちの活動を助けてくれている。

今年2月まで東京にいらしたという西條さん。
そろそろ親孝行をしようと、故郷の陸前高田に戻ったところ、
震災に遭った。
それからご両親と共に、一部残った家の再建や何やらでご苦労の日々。
せっかく助かったお父様も9月に急逝されたそうだ。

今は、地元でジャズバンドのメンバーとしても活躍中。
一歩ずつ、着実に前に向かって歩まれている。

そのうち、ARTS for HOPEの岩手チームリーダーとして、
引っ張って下さる日も近いのではないか?
と大いに期待している。

Written by Masako

 

開通した道

再開準備を進めるガソリンスタンド

12月13日に東京を出発し、宮城・福島・岩手の3県を回り活動を行ってきた。

足を運ぶたびに舗装された道路が増え、交通が便利になる。
商店が増え、買物が便利になる。
笑顔が増え、人との出会いが広がっていく。

徐々に活気を取り戻しつつある東北のように私の目には映っていた。

しかし大通りから一本細い道に入ると、まだまだ震災当時のままの家々や名残が目に付く。
土で汚れたままの乳母車。おばあちゃんの買物カート。
彼らの持ち主は今、どこでどうしているのだろう。

今回の遠征では、小学校を中心に回り、授業の一環として活動を行ってきた。
笑顔で迎えてくれる子どもたち。友達とふざけあいながら、作品を作り上げていく。

とってもカラフルできれいな絵。
オリジナリティーがあって、とっても素敵な作品だ。
そんな中、シャボン玉の中に、机に向かい合う1組の夫婦を描いている子がいた。机の上にはランプが光り花瓶には花が生けられている。でも色はグレー1色。
「これどうしたの?」と私が聞くと
「こんな風景が見えたんだ。本当だよ」
と真顔で答える男の子。
次の瞬間には色とりどりのシャボン玉を友達と笑顔で書き込んでいた。

その横ではシャボン玉の中に福島を書き入れ、頑張れ!と書き添える子。

笑顔の中に隠れている危うさは、私の中で大通りを隔てた被災地の風景と重なって見えた。

2011年、大通りは様々な人々のたくさんの努力で思いで通行可能になってきた。
2012年は一本隔てた細い道も美しくなっていけばと願っている。

written by nao

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