宮城県

宮城県で開催されたプログラム

少しでも役に立ちたい、できることがあれば何かしたいと思い
参加したボランティアでしたが、何かの役に立ったというよりかは、
Happy Doll&Happy paintingを自分自身も楽しんでしまい、
元気なかわいい子供たちに逆に癒されてしまいました。

一方で、被災地の現状を目の当たりにして津波の恐怖を痛感したり、
被災者の方のお話を聞いて胸が痛くなったり、
色々な思いを経験した5日間でした。

被災地を初めて見たときは本当にショックでした。
テレビや新聞等で見ていたからわかってはいたのだけど、
地盤沈下で水に浸ってしまった街、ぼろぼろの建物、
家の土台だけが残された空き地、瓦礫の山。実際に目の当たりにすると言葉を失ってしまいました。まるで原爆でも落ちたのかというような非現実的な光景。
夜になると真っ暗で、車でその中を通ったときはただただ怖かったです。

その反面、気仙沼でみた海はグリーンで透き通っていてすっごくきれいで、お魚は新鮮で美味しいし、空に広がった夕焼けは海に反射して見事な景色でした。
震災前はどれだけすばらしい所だったんだろう。壊滅してしまった街で、
今も避難所として使いつつそれでも営業しているホテルや旅館、
夜になるとまぶしいくらいに明かりがついている漁船、あちらこちらで見る『がんばっぺし!』の文字、元の美しい街を取り戻そうという地元の人々の強い思いをひしひしと感じ、涙がでました。

今回、気仙沼大島の児童館、赤岩五鱈仮設住宅、陸前高田市の仮設住宅、盛岡市立病院でHappy Doll、
越喜来保育所でHappy Paintingをお手伝いさせていただきました。

Happy Painting では、顔や髪の毛まで絵の具まみれになってしまう子、絵のうえを歩いている子、みんな元気いっぱいで面白かったです。
Happy Dollでは大人も子供も皆夢中になって作品を作り、ひとつできあがったかと思えば次も次もと夢中に作る子もちらちら。
「たのしかった。もっといっぱい練習してもっと縫い物が上手にできるようになりたいな」
という女の子、
「お裁縫なんて久しぶりにしたわ。すごくよかった、ありがとう」
といってくれたおばあさん。

面白いと思ったのは、同じものを作っていても、作る人によって違うものになり、どの作品にもその人らしさがでてくることでした。
赤岩五鱈仮設住宅で参加されたおじいさんは、完成したぬいぐるみがおじいさんにそっくりで、出来上がりと見比べてつい笑ってしまいました。

仮設所では悩み相談や就職相談等も開催されているけど、気持ちが暗くなってしまうから、こういう企画は皆が明るくなっていいと仮設所の方がおっしゃっていました。
たしかに、納得です。
老若男女問わず楽しめ、各自の作品が一冊の本になるという点も夢があって本当に素敵だと思いました。
ただ、子供に「またきてね」と言われたとき、また来れるのかな・・と一瞬返事を躊躇ってしまいました。
一時的なものではなく、長期に渡り実施する必要があるのだと思うと、この活動は果てしなく、一体私はどれだけのことができるのだろうかと自分の無力さを感じました。

陸前高田の仮設住宅では、家が流されてしまったにも関わらず震災当時のことを笑ってお話されるくらい明るく元気だったご姉妹、逆に一人取り残され無気力になってしまっているお年寄り、色々な方に出会いました。
家族や大事な人が無事であれば、これからがんばっていこうと支えあうことができるかもしれないけれど、一人取り残されてしまった人は励ましあうこともできない。
だんだんと普通の生活を取り戻しつつある今、外部からの精神的な支援が必要なのだと再確認しました。
この仮設所には私たちのほかにも色々なイベントが開催されていたようでしたが、時が経つにつれこういったものも減っていってしまうかもしれない。今回の震災が人々の記憶から薄れていっても、被災者にとっては一生消えることがない大きな傷であるはず。長期的な支援が必要とされるのだから、被災者の気持ちを第一に考え、私も今後可能な限り今回のような活動に参加していきたいと思いました。

今回の活動は、複雑な思いになりながらも色々と感じることが大きく、被災地のことを深く考える機会となり、自分にとって貴重な経験となりました。
個人の力は微々たるものでも、被災地のために少しでも行動することは非常に意味のあることだと感じました。
だから自分が経験したことをもっと色々な人にも経験して欲しい。
この活動を通して気づいたこと・感じたこと、被災地の現状を周りの人に伝えていきたいと思いました。
また、機会がありましたら参加させてください。
ありがとうございました!

台風15号接近のニュースの中、東松島、石巻、女川に出かけました。
一寸先も見えない状況で高速を走りましたが、白河で通行止め。
下道はあまりに渋滞なので1本海沿いの道を行こうとしたら、道の向うから押し寄せる水。先に行くのをあきらめ、カメラで後ずさりしながら撮影。ところが1歩後ろは川。(阿武隈川の氾濫でした)迂回した道は突然の土砂崩れ。更に次の道は、横は奈落の底の山道。しばらく行くと対抗車。双方睨みあいの結果300メートルぐらいバックしてもらいました(感謝)事故でひっくり返った車を横目に、道路冠水と流木や瓦礫の障害物を皆で手分けして片づけながら進む。
旅館の10メートル手前も冠水。サンダル履きで深さを確認して突破。
着いたのは出発から約13時間後の日が変わって朝の4時過ぎ。宿は停電。しばしの休息。夜が明けてみると美しい海と瓦礫。

この日の活動は午前中は東松島の仮設のhappy doll。
楽しみにしていたと大勢集まってくださり、クリスマスの再訪の約束も。
午後は石巻の学童のhappy painting。はじけて笑っていたその子はお母さんを亡くした子だと後から知りました。 

震災から6カ月たって、皆状況を冷静に考えられるようになった分、悩みや不安に押しつぶされそうになっているとか。一時でも嫌なことを忘れることが一番嬉しいと言ってくださいました。
今回はすごくサバイバルでしたが、その分そんなにまでして来てくれたと喜んでもらいました。

written by ボランティアスタッフ COCO

東日本大震災のニュ-スを留学中のドイツの報道で知りました。
地震、津波、、続々と入ってくるニュ-スに驚き、不安になるだけで、
ただただ、テレビ、インタ-ネットに噛り付いているだけで、何もできない自分に
苛立ちが隠せない日々をすごしていました。

夏休みには、必ず日本に帰ろう、そして現地で何かお手伝いができればいいと
今回、9月11日宮城県仙台市にある「あ-とらんどくらぶ」の
Happy Painting Projectに参加させていただきました。

ゲストのMAYA MAXXさんと
障害をもつあ-とらんどくらぶのメンバーとのコラボレ-ションは
自由で想像が豊かで、絵を描くことで自然にコミュニケ-ションができる
とても、アットホ-ムな時間が流れていました。

メンバ-はみんな、人なつっこく、笑顔であふれていました。
震災後あらゆる面で後回しにされ不自由な生活をしていた彼らが
やっと再開したくらぶで仲間と先生たちと再会し
やっと笑顔になることができたと
後からスタッフさんの話を聞いたときは、胸が痛くなりました。

今回一番のハプニングは、ゲストのMAYA MAXXさんが、少し席をはずしたときに起こりました。
それまで、一人一人思い思いの絵を描いていたメンバ-が
MAYAさんの描きかけていた、黒くて大きな山にも家にも見える絵に自然に書き足し、
コラボレ-ションをはじめました。
そこには、川が流れ、電車が走り、色とりどりの果物、生命力にあふれる人間の姿や、動物、
まるで復興をした町を描いているようでした。
そして帰ってきたMAYAさんを驚かすことになります。

またMAYAさんが「絵を描くとき 紙と目の距離が彼らと一緒だ」と言ってたのが印象的でした。
絵を描くことで、何かを忘れられ、絵を描くことで人とコミュニケ-ションを取る楽しみは、
共通なものなのだと共感します。

ひと時でも、今回のボランティアに参加でき、とても大きな体験をしました。
複雑な思いもありましたが、ドイツに戻って、周りに私が体験したことを少しでも
多くの人に伝えられたらいいと思います。

written by ボランティアスタッフSaori

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