福島県

福島県で開催されたプログラム


東京から出発して約3時間で、福島県のいわき市に到着した。

途中、道がでこぼこで、地震の被害を感じたが、
いわき市に入っても、一見するとNewsで見るような津波被害の光景は見当たらなかった。

被災地を視察しに行こうということで、海岸を目指して車で走っていると、
急に川の中に車が突っ込んでいる様子が目に入ってきた。

そこから津波被害の光景を目にすることになった。

道路は崩れ、家は倒れて、橋は落ちていた。
ダリの絵のように、全てが歪んで見え、
自分が立っている場所が歪んでいるのかまっすぐなのかわからず、
気持ちが悪くなった。

今まで映像や写真で見ていた時には、
自分の家や町が破壊され、本当に怖かっただろう、とは思っていたが、
いざ自分がその場に立っていると、生々しくそのときの光景が想像され、
怖いという感情の前に、ぞくっとした妙な緊張感を覚えた。

ぐちゃぐちゃになった家に、”家族全員無事です”という張り紙があり、
少しだけ安心することが出来た。

今回のプランの1箇所目の避難場所の体育館に到着した。
体育館の周りではおじさんたちが談笑していた。

中に入ると、ダンボールで仕切られた居住場所があり、
テレビがおいているスペースがあった。

今回は、テレビ前のスペースで、人形を作る、Happy Doll Projectを行うことになった。

テレビの近くに座っていたおじさん達が、何するんだー?と話しかけてきてくれた。
みんなで人形を作りましょう。というと、そんなの作らねーよ、という返事。

それでも、準備を始めるうちに、数人のおじさん、おばさんが集まってきてくれて、
今まで皆さんが作られた作品を見ていた。

1人のおじさんと、何か作りましょう、と話をしていて、
かばんを作りたい、ということになった。

かわいらしい、動物のキャラクターの生地を選んで、
これで、作る、とおっしゃった。
作ってくれ、といわれたけれど、私は今回初めてこのプログラムに参加し、
縫い物は小学校以来、(そしてかなりの不器用)だったので、
どうやって作るんですかねぇ、と困っていると、
「おめぇ、何しにきた。教えてくれるんじゃねぇのかよー。」とのお言葉。
おっしゃる通りなんですが、「教わりにきました。」と返答し、
おじさんに縫い物をお任せし、横で見学。
すると、おじさんはするする針に糸を通し、ちくちく、丁寧に、細かく縫っていかれる。
あぁ、すごいやぁ、と見ていると、
おじさんはどんどん真剣になり、とても綺麗なかばんが出来上がった。
「すごいですね、師匠」と声をかけると、
照れながら、「何で俺が作らなきゃいけないんだ」と嬉しそうでした。

出来上がったかばんもお見事で、お風呂に行く際に、これに着替えをいれて持っていくんだ、と、
おっしゃっていました。

周りの方も、XXさん、そんな性格だっけー。仕事が細かい!と驚かれていて、
新たな一面を発見された様子でした。

今回の地震・津波の被害は、皆さんの家を奪っただけではなく、
日々の生活、自分のやるべきこと、毎日の仕事を奪っていったんだな、と思いました。
今まで普通にしていたすべき事・したい事が出来なくなったという事は、とても寂しい。

今回のプロジェクトを通して、何かに夢中になる事が、みなさんの毎日を創っていくんだ、と、
少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにかばん作りを完成されたおじさんの表情を見て思いました。

ラジオを入れる袋を作ってもらい、本当にありがとう。大事にします、
と何度も言ってくれたおじさん、
照る照る坊主と魚の人形を持って、とても嬉しそうにしていたおじさん、
ピンクのかわいい人形をつくり、胸につけた、おしゃれなおばさん、
放射能の事で、差別しないでくれ、自分たちは何を言われても良いが、
そんなことを言われる子供がかわいそうだ、と必死におっしゃっていたおじさん。

最後はみんなで談笑し、今日はご苦労様、との言葉をもらい、私たちは気仙沼に向かいました。

私は、誰かの為に、何かが出来るわけでも無いけれど、誰かと一緒に何かをすることだけは出来ると思いました。

Written by ボランティアスタッフ Shinobu

3度目の訪問先という事で子どもたちの表情が幾らか柔らかく見えた。

まさこさんにとびつく姿を見て緊張が少しほぐれる。

まずは体育館横でペインティング、

しなやかな子どもたちの感性に思わず身を委ねてしまう。

あっという間に動くキャンバスになった。

続いて館内でハッピードール、

いろんな布や綿を使って思い思いの「作品」が出来上がってゆく。

今にも溢れそうな、

表面張力のような子どもたちの心のバランスを、

少しでもおもんばかれたのだろうか。

別れのとき、

抱きついて写真を撮ってくれた。

それがただただ嬉しかった。

ほんの数日前に同行する事が決まって、

何をすべきか考える間もなく、

今こうしてつたない文章を書いています。

必ずまた参加したいです。

あすなろ あすなろ あすはなろう

おやまの だれにも まけぬほど

ふもとの むらでも みえるほど

おおきな ひのきに あすはなろう

あすなろ あすなろ あすはなろう

あめにも かぜにも まけないで

ぐんと そらまで とどくほど

おおきな ひのきに あすはなろう

あすなろ あすなろ あすはなろう

とうげを こえる ひとたちの

ひるは ひかげに なるような

おおきな ひのきに あすはなろう

Written by ボランティアスタッフKodama

ARTS for HOPEの活動に初めての参加。
屋内待避地区と騒がれている場所の近くに行くので、実はちょっと緊張。

福島西ICで高速を降り、国道115号線に入る。
福島第一原発事故によって立ち入り禁止になった区域をぐるりと迂回して、南相馬に向かう。
かなりの遠回り。山を越えて行く感じ。

115号線に入ってすぐ、「原発20km圏内 注意」という電子掲示板がある。
まだまだ遠くだ、と思ってた私は、ちょっと緊張する。

実際にその場所は原発からはまだまだ遠くて、
それは、この道路をずーーーっと行くと、
20km圏内にたどり着きます、という意味だった。

115号線のドライブは、とても気持ちがいい。
1年でいちばんきれいだと思う、新緑の季節の山。
水が張られた水田がきらきらしていて、田植えをしている人たちがいる。
山藤もいたるところで満開で、淡い紫が、新緑に彩りを添える。

日差しの心地よい、のどかな午前中。庭をいじったり、野良仕事に精を出す人々。

そんな光景を見ながら、1~2時間、南相馬に向かう。

どこからが南相馬か、すぐわかった。
人影が、消えた。

閉め切られた窓、きれいな庭があるけれど、
誰も外にいない。

すれ違う車はあるけれど、人を、本当に見かけない。

街の空気が、全然ちがう。

南相馬市は、
3分の1が計画避難区域、
3分の1が屋内待避区域、
3分の1がなにも指示が出ていないゾーン。

私たちが訪れたのは、
福島第一原発から35kmくらいの場所にある、上真野小学校。
なにも指示が出ていないけれど、
屋内待避を推奨している、という地域。
校長先生が、いっぱいいる。

市内にある22校の小中学生が、
なにも指示が出ていないゾーンにある4校+市の体育館などの施設に振り分けられ、
学校生活を続けているからだ。
子供たちは、送迎バスのみで、登下校している。

そこの学童にて、ワークショップを行う。
「こんな非常時には、自分の子供の面倒は自分で見る」ということで、
本来なら、現在、学童はクローズされているそうだけど、
実際に震災の復興のために
それぞれが重要な仕事をしている夫婦はたくさんいて、
やはり、必要だから、と市ががんばって続けているところ。

元気なこどもたちが、やってくる。
最初は、小学校低学年のこどもたち。
次に、高学年のこどもたちと行う。

ワークショップの準備として、
床が汚れないように、白いビニールシートを敷く。
シートを広げた瞬間、こどもたちが笑顔で「つなみー」と笑う。
みんな、元気いっぱい。
ドキッとする。

外に出られずに、エネルギーが余っているこどもたち。
大きな1枚の紙に、みんなで絵を描いてもらう。
手足や、筆を使って、絵の具で遊ぶ。

あっという間に、1枚目の紙が絵の具で埋まる。
すごいエネルギー。

 

2枚目は、クレヨン。

最初ずっと漢字を書いていた子が、絵を描きはじめる。

UFOと宇宙人。

それを見ていたちいさな子も、
思いっきりブラックホールを描きはじめる。

ぐーーーーーっ、と言いながら、
まわりに描かれているものを、真っ黒に塗りつぶして行く。

思いっきり黒く塗りつぶしたあと、
ブラックホールは突然明るい色に変わった。

恐竜がすき!、と一緒に恐竜を描いていた子。
突然その子が描いた恐竜が、紫の煙を吐きはじめる。
これ毒ガスー!!、と楽しそうに言う。

この紫のガスにあたるとどうなるの?と聞くと、
倒れて死んじゃうんだ、と、私の描いた恐竜を、紫で塗りつぶした。

やだよー、どうしたらよけられるの?と聞くと、
バリヤを作ればいいんだよ、と答え、黄色でバリヤを描きはじめる。

私もバリヤを描きながら、どうやったらバリヤはつくれるの?、と聞くと、
その子は、僕、子供だから、まだ作り方がわかんない、と言った。

 

 

地震や津波による、
自分の家や家族への被害はほとんどなかった様子のこどもたち。
でも、正体がわからないものへの恐怖と、
どうしたらいいのかわからないというおおきな不安。

先が見えない気分と、
あり余ったエネルギーががんがん伝わる。
こども特有の元気の他に、発散させたい何かがある。

ことばにならないもの。
少しでも、それを外に出せる瞬間の大切さを、痛感する。
エネルギーの発散と、感情の発散。
どちらも大切で、
特に後者には、こどもが集中できる時間と、
はなしの聞き手(見守る人)が必要となる。

本来、「見守る人」であった人たちは、
こどもと同じように、目に見えない恐怖と、
生活に対する不安を抱えている。

屋内退避ってなんだろう?
出たいときに外に全く出られない。

外に出るのは生物の本能で、出たいから出たいのに、
必要最小限って、何だろう??

とても潤沢な野山とか海があり、そこで育ったこどもたち。
こどもたちのことを本気で考えている市の職員が、
1日100万円かけて、送迎バスを出している。

市の職員の方々はとてもがんばっていて、
こどもたちの環境を、少しでもよくしようと努力している。
学童を継続している。

給食についてもそうで、もともと4校分、
1000人ちょっとだった生徒が2200人に増えたことで、
組まれていた予算で全員分の給食を用意しようとすると、
おにぎり、牛乳、果物 しか出せないのだそうだ。
でも、がんばって、もう1品くらい出せるようになってきた、と。

こういう事態について、国から何かないのですか?と質問すると、
国のシステムとして、「平等」という考え方がある、と市の教育委員会の人は答えた。
「被災地の同じ状況のところが平等に受けられるおなじもの」は、
国が、調査を行って考えた後にしか出てこない。
だから、国に訴えてそれを待っているよりかは、
ささやかかもしれないけど、自分たちでできることを考えてやっていくほうが、
いいのだ、と、彼は言った。

ささやかかもしれないけれど、自分たちでできることを考えてやっていく。

津波の被害にあった地域の様子を延々と見ながら移動しつつ、
「私ひとりがボランティアに行ったことろで、状況は大して変わらない」、
と思っている人が全員集まると、状況は結構変わるんだろうな、と思った。

Written by ボランティアスタッフRyoko

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