12月 2011

明日からは冬休みという12月22日に、六郷児童館に伺いました。

当初、参加メンバーは60名ということでしたが、インフルエンザが流行し、小学校も各学年ひとクラスは学級閉鎖という状態。会場の遊戯室には、そんな学校に行けない子どもたちが数人遊んでいて、まずその子どもたちからワークショップのスタートとなりました。

「カレンダーづくり」という内容を知り、前々から構想を練っていたらしい男子3人は、仲良く同じテーブルで、迷うことなく自分の絵を描き始めます。この3人の集中力は見事なくらい持続し、ほぼワークショップ終了の時刻まで黙々と作品づくり。本当にオリジナルの、自分ワールドが広がるカレンダーが仕上がった次第です。

学校が終わり、少しずつ参加者が増え始め、テーブル席は満席に! 六郷児童館でも、床にうつぶせになり描くひとが多くなりました。使える画材が豊富だったことがとてもうれしい様子で、とりわけ使い放題のシールには人気が集まりました。白いシールがなかったことを指摘され、あやまるスタッフ。雪の季節だったことが、白い丸シールの希望が多かった理由のようです。

「いつもはシール1人3枚」がルールという六郷児童館では、「シールをたくさん使える!」ということは、なかなかなご褒美だった様子です。

そのシール使いも、ひとりの女の子が始めた“形の中に‘うろこ’のように敷き詰めて貼る”という手法が、たちまちのうちに彼らの中で伝授され、それぞれのスタイルに変化。子どもたちの吸収力の凄さを見せつけられた感がひとしおでした。

ワークショップのはじめ、カレンダー用紙を渡す際に「さあて、来年の誕生日は何曜日だろうね。」と声がけをして皆でワーキャー行っていた時、ひとりの女の子が「3月11日。あの日わたし誕生日だったんだ。」と小さな声でわたしに教えてくれました。

これから先の3月11日が、穏やかな一日で過ぎゆくことを祈るばかりです。

Written by Osamu

開始1時間前から暖めてもまだ寒い遊戯室。

そんな事情で、今回は大きな遊戯室の片隅、エアコンの暖かい風の吹き出し口近くにテーブルを並べてのワークショップとなりました。

通常だと14:30頃にはやってきている小学生も、この日は学校の授業内容の都合か、15:00過ぎあたりからポチポチと参加者が集まりだした感じ。

ということで、いつもの「せーの!」で始まるワークショップではなく、三々五々に始まる会となりました。

仙台チームの画材が豊富になり、太さや色がたくさんに揃ったポスカ、マジックペン、クレヨン、色鉛筆、シールなどを思う存分自由に使い、自分だけの2012年のカレンダーを仕上げることができました。

用意していたテーブルに席が確保できないとわかったら、男の子たちは揃って床に新聞を敷き、うつぶせになって絵を書き始めます。今の季節を反映してか、クリスマスモードの絵もたくさん。その他、妖怪やおなじみのポケモンを描く子。各季節の行事を丁寧におとなたちに聞きながら描く子もいました。

もれだすポスカの液体に気が付いた女の子は、なんとドロッピングをスタート。出来上がった作品はとても面白かったのですが、床に少々汚れが。でもこれもご愛敬。ありがたいことに、ポスカの汚れは拭けばすぐに落ちたので助かりました。ただ、次回は床にも養生シートが必要かなあとスタッフは反省です。

5,6人が制作ノリノリモードから収まらず、帰宅時刻もせまっているという児童館職員の呼び掛けにも「まだ、もうちょっと!」の声。予定時間をオーバーでのワークショップのお開きとなりました。

荒町児童館でのワークショップのチラシは、ARTS for HOPEの手作りのものをいつも持参するのですが、なんと今回の「オリジナルカレンダーづくり」は、チラシを持っていったときには、もう定員がうまっていたというありがたい状態。

聞けば、前回のワークショップの際「次はなにやるの?」の質問に、「今度はね、オリジナルカレンダーづくりかな」と私たちがほのめかしたことが、子どもたちの中に噂で広まり、このような事態になったとのこと。

楽しみに待っていてくれるみんながいることに、心から感謝です。

Written by Osamu & Satomi

ご主人の大留さんは「原発事故から命と環境を守る会」会長の肩書きも持つ

これまでの遠征で
東北の人々、お店、美味しいもの、自然、と
実にさまざまな出会いがあった。

たとえば、南相馬の南、原発から20キロ周辺に位置する
「ビジネスホテル六角」のご主人。
深夜1時過ぎに到着した我々のために起きて迎えてくれ
暖房で温めておいた部屋に通してくれた。
朝はコンビニで朝食のつもりでチェックアウトすると
炊き立てのご飯とお味噌汁を出してくれた。
その温かさは心とお腹に沁みた。

ご主人は北海道のご出身だそうだが
若い頃に福島に移り住み
震災のずっとずっと前から原発反対運動に取り組んできたそうだ。
その活動をバックアップするため、
落合惠子さんや様々な方が支援物資など送って下さるとのこと。

こどもたちのこと、南相馬のこれからを何より想い
復興作業に従事する人たちを受け入れる傍ら
支援物資の中継地点として、仮設住宅への配布も精力的に行っている。
「”支援する人”と”支援を受ける人”に心の交流がなければ意味がない。
一方的ではいけない。」と、強く仰っていた。

そしてここは気仙沼の老舗海苔店

港周辺は大きな被害が残されたままだが
目と鼻の先にある商店街では、営業を再開して頑張るお店がたくさんある。
そのひとつ、創業は江戸・安政四年の横田屋さん。
(Click!)

美味しそうな海産物が並び、目移りしてしまう。
営業再開までには大変なご苦労があったはずだが
三陸、気仙沼の海と、人の営みを150年以上前から見守り続けてきた老舗は
落ちついた風情で街に明かりを灯していた。

とても美味しいので、
気仙沼へいらしたら、また通信販売でも、ぜひお試し頂けたらうれしい。

左から文子さん、千代子さん、宣子さん

たくさんおかわりしてしまった我々・・・ ご馳走様でした

気仙沼の山間部には、震災の被害を免れた「角地」という集落がある。
そこに蔵のある立派な農家があり、目の前には五反もの田んぼが広がっている。
ここに住む佐藤文子さんは、地域のためにできることを探し続け
現在は復興ボランティアの受入をされているそうだ。

食卓に並ぶのはすべて、文子さんとお義母様の千代子さんが丹精込めて育てた
無農薬のお米と野菜。
そのおいしいことったらない!
美味しすぎて食べ過ぎて太ってしまう、まさに『危険米』
とにかく格別だった。

気仙沼の「とちめんぼう」

近頃営業していないようだが、ご主人は元気だろうか

はっきり言って、ここぐらいしか営業している店が無かったので入った。
遠征活動の間、毎日、朝昼晩と唯一開いているコンビニの食事ばかり。
さすがに飽いていた。
しかし、予想に反して、「とちめんぼう」の焼きたて餃子は
すごく美味しかった!

それにしてもへんてこりんな店名。
いわれを聞くと夏目漱石の「ぼっちゃん」だと言った。

震災後、店の再開まで大変だったらしいが、
そんな話も冗談を交えて話してくれる、味のある人物だった。

その後何度か足を運んだが閉まっていて残念だ。
あの餃子が食べたい。
あの主人のからかい話を聞きたい。

大船渡の白鷺

南相馬の猫

気仙沼大島のウミネコ

人だけでなく、動物や、美しい自然も
たくさん目にしてきた。

こうした数々の出会いに感謝しながら、
これからも遠征を続けていこう。

Written by 事務局代表Masako

 

 

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