3_ボランティアスタッフ

ボランティアスタッフによる活動報告です。

震災以来、津波の被害はなかったものの比較的原発に近いところにいる私は日常を取り戻したかに見える生活を送りながらも、多くの喪失と深い苦しみが存在している地域のことを考えると何ができるのだろうと思い続けていました。
そして,artになにができるのだろう?と・・・・・。そこで、ARTS for HOPEの活動を知り思い切って参加してみました。

青空が気持ちいい暖かな日でした。亘理町児童センターの職員の方々は、被災され避難生活も経験されたというのに、皆さんとても明るく迎えて下さいました。
そして、ハッピードールプログラムが始まりました。色とりどりの布、ボタン、毛糸、リボン。さらさら、ふわふわ、キラキラ、てかてか、の感触と色彩に子どもたちはきっと、わくわくしたことでしょう。

みんなは、それぞれ、自分にしか作れないとっても素敵な作品を、じっくりと作りました。1~2年生の子供たちでも、針と糸を持ち、チクチクと、めげそうになりながらもちゃんと自分でやり遂げます。「偉いね。」と声をかけると、「おばあちゃんが、いつも縫物をしてるのを見てるから。」という子。どんな家族かな?と想像しながら見守ります。
男の子たちも、図鑑をめくっては、喜々として好きな昆虫を次々と作り上げていました。 中には、<かっぱ>なるものを作ってしまった子もいました。
素敵な作品が次々と生まれ、自分の手でそれを作り出した喜びに心が満たされ、ちょっぴりハッピーになれた時間でしょう。


午後に伺った岩沼市でも、ハッピードールを創ることをとおして子どもたちは充実感と、人と人との触れ合いのささやかな時間を、感じることができたのではないでしょうか。
後で、南相馬市から避難してきている子もたくさんいると知り、本当は私たちの知り得ないようなつらい思いを抱えている子もいるのかもしれないと思いました。
一見、普通の日常生活を送っているこの場所の、海側に広がっているであろうかなしい光景を感じながら、私たちの車がすべて見えなくなるまで、手を振り続けて下さった職員さんと男の子のすがたを目に焼き付けて、帰途につきました。
今回、参加して感じたことは、自分の手で、自分の好きなものを創り上げるという喜びは、どんな人間にとっても必要なことなんだなと感じられたことです。


そして、このような活動を、東京から駆けつけて、まだまだ困難な状況である4月から継続して走りまわり、プログラムを提供し続けているスタッフの皆さんに、敬意を表したいと思いました。

このような活動は、これからもぜひ必要でしょうし、多くの人の協力なしにはありえないことでしょうから、私にできる範囲で、参加していきたいと考えています。
このようなきっかけに出会えたことに感謝し、これからも何ができるのかを考え続けたいです。みなさん、ありがとうございました。

Written by Naoko

かねてからお話を伺っていたWAPのArts For Hopeの現地活動にやっと参加することができました。

はじめに高橋さんをはじめとしたスタッフの皆様にお礼を申し上げます。
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。
また、活動の重みを肌で感じ、日々このお仕事に奔走されている皆様に尊敬の意を表します。

最初はボーっと箱を眺めていた子どもたちも…

シャボン玉を見たらこの笑顔!

子どもたちは、本当にエネルギーのかたまりそのものでした。
これは世界共通ですね。
南相馬市では外で自由に遊べない状況が続いていますが、
与えられた環境の中で、無意識とは思いますが、
子どもたちがありのまま、満面の笑みを向けてくれたこと、
手を握り合ったこと、見つめ合ったことが忘れられません。

空いている時間を活用して、高橋さんは海辺の津波被害に合った地域も案内して下さいました。
すでにがれきも片付けられ、夏を越えて緑がチラホラと地面を覆いはじめていたので、
震災直後に比べたら良くなったというのは見てもわかりますが、
やはり、初めて目の当たりする私には衝撃でした。
この状況が宮城、岩手、青森と続いているのかと思うと、気が遠くなる思いでした。

私はNPO法人熱帯森林保護団体という団体に所属しており、
毎年ブラジルはアマゾンを訪れ、密林に覆われていたはずの場所が、
地平線まで続く開発の景色になってしまった風景を見続けてきました。
殺伐とした空気は、ブラジルのそれととても共通するものを感じましたが、
似て非なる点がもちろん多く、それに対してまだうまく言葉が見つかりません。
とにかく車を運転しながら、息が詰まりました。

八沢幼稚園は17カ所から園児たちが集まっており、
先生が「やはりまだ日常、という感じはしませんね」と柔らかくおっしゃった言葉が印象的でした。

お風呂屋さんでも地元の女性たちが生活環境の変化や地震の影響でストレスを抱え、
体調を崩したことを何となく話しており「とにかく元に戻ってほしいよね」とお話していました。

南相馬市の学生たちも家族ごと、2/3ほどは市外に出てしまっており、
残された家族、子どもたちにできることをと奔走されている方がたくさんいらっしゃいました。

街の明かりは隣の相馬市に比べると少なく、通りを歩く子どもの姿はなく、日常と非日常が混在しているような不思議な空気でした。

どこもかしこも柿がたわわに実っていましたが、放射能のため、
どこのお宅も収穫はしていませんでした。
町にいながら、その地の水も飲めず、津波以外にも原発の影響がどのくらいあるのか、
いつまで続くのか、という見えない壁は、現場では予想以上に大きいものでした。

津波、原発、それらの影響問題、言葉を並べればいくらでも出てきますが、
それよりもまず子どもたちがいる限りAFHのワークショップをどんどんしていかなくてはいけない、とその想いだけでWAPの皆さんは動いていて、動かされているのかな、と思いました。

現場にこれだけ足を運ばれていたら、もう、
止まってあーだこーだ言っていることほど時間のもったいないことはないと
感じられているのかもしれません。
なぜなら子どもたちにとっては、大人の難しい問題は抜きに、
今この瞬間も同じ毎日が続いているからです。

こういった活動は何よりも「継続」が一番大事であり、ときには困難であると思います。

私もまた、チャンスがあればご一緒したいですし、
より多くの方が一度でも二度でも、肩に力を入れすぎず、継続できることを視野に入れて
AFHをみんなで支える、続ける力の一つになれたらいいのではないかと思います。

written by 熱帯森林保護団体 (Click!) 白石絢子(パイングリ)

少しでも役に立ちたい、できることがあれば何かしたいと思い
参加したボランティアでしたが、何かの役に立ったというよりかは、
Happy Doll&Happy paintingを自分自身も楽しんでしまい、
元気なかわいい子供たちに逆に癒されてしまいました。

一方で、被災地の現状を目の当たりにして津波の恐怖を痛感したり、
被災者の方のお話を聞いて胸が痛くなったり、
色々な思いを経験した5日間でした。

被災地を初めて見たときは本当にショックでした。
テレビや新聞等で見ていたからわかってはいたのだけど、
地盤沈下で水に浸ってしまった街、ぼろぼろの建物、
家の土台だけが残された空き地、瓦礫の山。実際に目の当たりにすると言葉を失ってしまいました。まるで原爆でも落ちたのかというような非現実的な光景。
夜になると真っ暗で、車でその中を通ったときはただただ怖かったです。

その反面、気仙沼でみた海はグリーンで透き通っていてすっごくきれいで、お魚は新鮮で美味しいし、空に広がった夕焼けは海に反射して見事な景色でした。
震災前はどれだけすばらしい所だったんだろう。壊滅してしまった街で、
今も避難所として使いつつそれでも営業しているホテルや旅館、
夜になるとまぶしいくらいに明かりがついている漁船、あちらこちらで見る『がんばっぺし!』の文字、元の美しい街を取り戻そうという地元の人々の強い思いをひしひしと感じ、涙がでました。

今回、気仙沼大島の児童館、赤岩五鱈仮設住宅、陸前高田市の仮設住宅、盛岡市立病院でHappy Doll、
越喜来保育所でHappy Paintingをお手伝いさせていただきました。

Happy Painting では、顔や髪の毛まで絵の具まみれになってしまう子、絵のうえを歩いている子、みんな元気いっぱいで面白かったです。
Happy Dollでは大人も子供も皆夢中になって作品を作り、ひとつできあがったかと思えば次も次もと夢中に作る子もちらちら。
「たのしかった。もっといっぱい練習してもっと縫い物が上手にできるようになりたいな」
という女の子、
「お裁縫なんて久しぶりにしたわ。すごくよかった、ありがとう」
といってくれたおばあさん。

面白いと思ったのは、同じものを作っていても、作る人によって違うものになり、どの作品にもその人らしさがでてくることでした。
赤岩五鱈仮設住宅で参加されたおじいさんは、完成したぬいぐるみがおじいさんにそっくりで、出来上がりと見比べてつい笑ってしまいました。

仮設所では悩み相談や就職相談等も開催されているけど、気持ちが暗くなってしまうから、こういう企画は皆が明るくなっていいと仮設所の方がおっしゃっていました。
たしかに、納得です。
老若男女問わず楽しめ、各自の作品が一冊の本になるという点も夢があって本当に素敵だと思いました。
ただ、子供に「またきてね」と言われたとき、また来れるのかな・・と一瞬返事を躊躇ってしまいました。
一時的なものではなく、長期に渡り実施する必要があるのだと思うと、この活動は果てしなく、一体私はどれだけのことができるのだろうかと自分の無力さを感じました。

陸前高田の仮設住宅では、家が流されてしまったにも関わらず震災当時のことを笑ってお話されるくらい明るく元気だったご姉妹、逆に一人取り残され無気力になってしまっているお年寄り、色々な方に出会いました。
家族や大事な人が無事であれば、これからがんばっていこうと支えあうことができるかもしれないけれど、一人取り残されてしまった人は励ましあうこともできない。
だんだんと普通の生活を取り戻しつつある今、外部からの精神的な支援が必要なのだと再確認しました。
この仮設所には私たちのほかにも色々なイベントが開催されていたようでしたが、時が経つにつれこういったものも減っていってしまうかもしれない。今回の震災が人々の記憶から薄れていっても、被災者にとっては一生消えることがない大きな傷であるはず。長期的な支援が必要とされるのだから、被災者の気持ちを第一に考え、私も今後可能な限り今回のような活動に参加していきたいと思いました。

今回の活動は、複雑な思いになりながらも色々と感じることが大きく、被災地のことを深く考える機会となり、自分にとって貴重な経験となりました。
個人の力は微々たるものでも、被災地のために少しでも行動することは非常に意味のあることだと感じました。
だから自分が経験したことをもっと色々な人にも経験して欲しい。
この活動を通して気づいたこと・感じたこと、被災地の現状を周りの人に伝えていきたいと思いました。
また、機会がありましたら参加させてください。
ありがとうございました!

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