福島県

福島県で開催されたプログラム

3月24日(土)~25日(日)、福島県南相馬市が誇る、野馬おいの開催場所である 雲雀ヶ原祭場地でHappy Flower Projectを開催致しました。

このプログラムは元々、地元の栄町商店街主催でこども達に楽しい時間を過ごしてもらいたいという思いから企画された、熱気球乗船プログラムがはじまりでした。
偶然、気球プログラムを知った我々は、主催者の1人である、タカミヤさんとお話しさせて頂くこととなりました。
初めてのイベント開催ながら、こども達のために熱く奔走されている姿をみて、是非会場を明るく盛り上げるお手伝いができればと思い参加することとなりました。

開催日の天気予報は雨。それでも太陽が頭上をついて回っているのではないかと思うほどの、晴れ女である代表・高橋雅子の力を信じつつ、開催日数日前に現地入りし、ボランティアさんの協力の下会場設営を行っておりました。

ついに当日、午前中こそは曇り空で肌寒くありましたが、予報の雨は前日の夜中で止み、午後には太陽の光が差し込む天気に!

忙しいなか、前日の夜中から車を走らせて会場に駆けつけてくださった俳優の役所広司さん。
素敵な音色を会場に響かせてくれた、シエスタさん。
そして、スケジュールの調節をつけ、駆けつけてくださった全国のボランティアの皆さんの思いをのせて、心配された来場者の数は想像以上でした。

 

今回の開催を巡り、様々な意見や、思いが駆け巡りました。
それは2012年3月の現在では、答えのでない問題です。
それでも、様々な方からの思いをお伺いするなかで、県外で暮らしている我々だからこそ実現できる、意味のあるイベントだと感じ、開催をさせていただきました。

会場で聞いた思いや笑顔と出会えた今、その決断がよいものであったと信じています。

開催にあたり、ご協力頂きました皆さまにこの場を借りて心より御礼申し上げます。
有難うございました。

written by AFH事務局 nao

気がつけば、東関東大震災から早1年がたとうとしています。

震災以降、ひたすらに東北3県を回ってきた我々ですが、当所は当時の様子を振り返っている現地の方々にカメラをむけることがどうしてもできませんでした。
しかし時間の経過と共に嫌でも薄れていく記憶に危機感を感じた我々は、この1年で出会った方々へお話しを聞く機会を設けることにしました。
今回の活動は福島県・南相馬市ということあり、話しはおのずと原発の話しへと流れていきました。

20km圏内の方々は、避難後家にもどると、大切なもののほとんどは盗難にあっていたと
いいます。
「パールのネックレスも、そういうものはみんななくなってたの」

「家が20km圏内にあってね。もうお墓参りにも、いけないわ」と寂しそうに笑う学校の先生。

また、家族で地元に残ると決めた今も、本当にそれでよかったのか、家族が離れ離れになってしまっても動く必要があるのかと、今も必死に考えをめぐらせているご家族。
南相馬市の人口は震災以降、5万人から1万人にまで減少したとも聞きました。

南相馬市へ移動するとき、我々は飯館村を通過して市内へ入るルートをとっています。

村を通過中に歩いている人を一度も見かけたことはありませんでした。夜間でも、ほとんどの家に明かりはついいていません。
月に何度か通過するだけの私が、安易な憶測をすることはよくないと思うようにはしていました。
しかし冬場になり雪が降り積もるようになったころ、車道から家々や店舗へとつづく車のタイヤの跡や足跡がついていないことに気がつきました。

「娘が、孫をつれて千葉に引越したのよ。地元の幼稚園の制服も用意しておいたんだけどね」と話してくれた女性の言葉が頭をよぎりました。

現地の方々とじっくり話しをする機会が増えるたびに、私ではなく、伝えるべき人が伝えてくれるのであればそれでよいのだと思う半面、私自身が見なければ分からなかったこと、聞かなければ知らなかったことを、伝えてゆくこともまた必要なことであるのかもしれないと、感じた遠征でした。

written by 事務局スタッフnao

相馬 6号線沿いの「たこ八」

「たこ八」の叶姉妹

店内のポスター

松川浦にあった安くて新鮮で美味しいお魚の店「たこ八」
震災でお店が流され、現在地でお店を再開した!

すごくおいしいけど、4時には閉店してしまう。
活動が終わって片付けると、いつも到底間に合わない時間だった。

それがようやく、チャンスはやってきた!
南相馬から東松島へ移動の途中、閉まる直前にぎりぎり間に合った。
美人でやさしい女将さんに、再開までのお話を伺いながら
ホッキ飯弁当が出来上がるのをわくわく待った。
だんなさんお手製シラスの佃煮もサービスに!

宿に着いてからそのお弁当とシラスを、餓死寸前のみんな
無言でがつがつ頂いた。
歯ごたえシャキシャキ、絶品だった!

 

 


お店の明るい看板娘

いつも賑わう中華の店「福来臨」

昼間は南相馬災害FM放送のキャスター 鹿島幼稚園の温かい先生と

南相馬市街地にある中華料理店「福来臨」。

原町商店街で営業をしている数少ないお店の一つである。
始めはここくらいしか開いていなかったので入った。
しかし、ここの料理がまた美味しい。
本当に美味しい!毎日でも食べたい!
かくして、毎月、南相馬を訪れる度にお邪魔するようになった。

震災後、従業員がいなくなったお店を、支援で手伝うようになったという
笑顔の素敵な新妻さん。
実は本職は南相馬災害FMのレポーター兼アナウンサー。

私達の活動の取材に来て下さった事もある。

 

 


男山八幡神社宮司 西道典さん

 

男山八幡神社

とにかく顔が広く、頼りになる南相馬の傑物だ。

神社の宮司のみならず、

南相馬こどものつばさ代表
福島県雅楽会会長
福島県神社庁相馬市部理事
相双テニス協会理事
鹿島小学校PTA会長
南相馬市小中学校PTA連絡協議会会長
福島県PTA連合会副会長
南相馬市生涯学習推進委員
等々

枚挙に暇が無い。

震災後、原発被害から一時避難し、南相馬を離れていたが、
神社もあり、南相馬を建て直し、子どもたちを守るために戻ってきたのだ。

そして
毎月南相馬へ通い、楽しく、笑顔が生まれ、未来を信じられるひとときを、
南相馬のすべての子どもたちへ届けたい!というARTS for HOPEの意志を、
しっかり受け止めて協力して下さっている。

 

 


大高森観光ホテル

 

温かい笑顔で迎えてくれる女将

東松島市に行くといつもお世話になる「大高森観光ホテル」
奥松島に位置する風光明媚な観光地だ。
西田敏行の映画の撮影場所にもなったことがある。

震災後、周辺の民宿やホテルはすべて流され壊滅状態。
この辺でたった1軒、奇跡的に残った強運のホテルだ。

初めてここを探しながら訪れたときは、周りの風景が心底怖かった。
こんなところにホテルが残っているのだろうか?
と、恐る恐る壊れた橋を渡って辿り着いたものだ。

当時から今に至るまで、復興工事の男性しか泊まっていない。
ゆえに私たちが泊まる時は、
男性風呂(女性風呂は壊れて未だに使えない)のドアに、
「30分貸切」と手書きの紙を貼って入る。

全館停電で、懐中電灯でトイレに行ったりお風呂に行ったりもした。
しかいもともと復興工事関係者貸切ホテルに頼み込んで転がり込んだので、
何も文句は言えない。
それどころか体を真っ直ぐ伸ばして眠れるお布団がありがたかった。

9月の台風の時には、朝の4時過ぎにヨレヨレになって到着した我々を、
文句も言わずにご主人は温かく迎えて下さった。
ご主人のお母様、毅然として温かい肝っ玉女将の笑顔もいつも楽しみだ。
この間は、生海苔を煮た手作りの佃煮をお土産に持たせて下さった。

訪れる度にきれいに修繕されていくホテルを見ると、
本当に尊敬し、元気を頂く。

 

 


陸前高田の西條さん

陸前高田の海岸に唯一残った希望の木

陸前高田在住の西條さんは、岩手県で行う私たちの活動を助けてくれている。

今年2月まで東京にいらしたという西條さん。
そろそろ親孝行をしようと、故郷の陸前高田に戻ったところ、
震災に遭った。
それからご両親と共に、一部残った家の再建や何やらでご苦労の日々。
せっかく助かったお父様も9月に急逝されたそうだ。

今は、地元でジャズバンドのメンバーとしても活躍中。
一歩ずつ、着実に前に向かって歩まれている。

そのうち、ARTS for HOPEの岩手チームリーダーとして、
引っ張って下さる日も近いのではないか?
と大いに期待している。

Written by Masako

 

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