ブログ

記憶の記録

気がつけば、東関東大震災から早1年がたとうとしています。

震災以降、ひたすらに東北3県を回ってきた我々ですが、当所は当時の様子を振り返っている現地の方々にカメラをむけることがどうしてもできませんでした。
しかし時間の経過と共に嫌でも薄れていく記憶に危機感を感じた我々は、この1年で出会った方々へお話しを聞く機会を設けることにしました。
今回の活動は福島県・南相馬市ということあり、話しはおのずと原発の話しへと流れていきました。

20km圏内の方々は、避難後家にもどると、大切なもののほとんどは盗難にあっていたと
いいます。
「パールのネックレスも、そういうものはみんななくなってたの」

「家が20km圏内にあってね。もうお墓参りにも、いけないわ」と寂しそうに笑う学校の先生。

また、家族で地元に残ると決めた今も、本当にそれでよかったのか、家族が離れ離れになってしまっても動く必要があるのかと、今も必死に考えをめぐらせているご家族。
南相馬市の人口は震災以降、5万人から1万人にまで減少したとも聞きました。

南相馬市へ移動するとき、我々は飯館村を通過して市内へ入るルートをとっています。

村を通過中に歩いている人を一度も見かけたことはありませんでした。夜間でも、ほとんどの家に明かりはついいていません。
月に何度か通過するだけの私が、安易な憶測をすることはよくないと思うようにはしていました。
しかし冬場になり雪が降り積もるようになったころ、車道から家々や店舗へとつづく車のタイヤの跡や足跡がついていないことに気がつきました。

「娘が、孫をつれて千葉に引越したのよ。地元の幼稚園の制服も用意しておいたんだけどね」と話してくれた女性の言葉が頭をよぎりました。

現地の方々とじっくり話しをする機会が増えるたびに、私ではなく、伝えるべき人が伝えてくれるのであればそれでよいのだと思う半面、私自身が見なければ分からなかったこと、聞かなければ知らなかったことを、伝えてゆくこともまた必要なことであるのかもしれないと、感じた遠征でした。

written by 事務局スタッフnao

ページのトップへ