福島県

福島県で開催されたプログラム

ご主人の大留さんは「原発事故から命と環境を守る会」会長の肩書きも持つ

これまでの遠征で
東北の人々、お店、美味しいもの、自然、と
実にさまざまな出会いがあった。

たとえば、南相馬の南、原発から20キロ周辺に位置する
「ビジネスホテル六角」のご主人。
深夜1時過ぎに到着した我々のために起きて迎えてくれ
暖房で温めておいた部屋に通してくれた。
朝はコンビニで朝食のつもりでチェックアウトすると
炊き立てのご飯とお味噌汁を出してくれた。
その温かさは心とお腹に沁みた。

ご主人は北海道のご出身だそうだが
若い頃に福島に移り住み
震災のずっとずっと前から原発反対運動に取り組んできたそうだ。
その活動をバックアップするため、
落合惠子さんや様々な方が支援物資など送って下さるとのこと。

こどもたちのこと、南相馬のこれからを何より想い
復興作業に従事する人たちを受け入れる傍ら
支援物資の中継地点として、仮設住宅への配布も精力的に行っている。
「”支援する人”と”支援を受ける人”に心の交流がなければ意味がない。
一方的ではいけない。」と、強く仰っていた。

そしてここは気仙沼の老舗海苔店

港周辺は大きな被害が残されたままだが
目と鼻の先にある商店街では、営業を再開して頑張るお店がたくさんある。
そのひとつ、創業は江戸・安政四年の横田屋さん。
(Click!)

美味しそうな海産物が並び、目移りしてしまう。
営業再開までには大変なご苦労があったはずだが
三陸、気仙沼の海と、人の営みを150年以上前から見守り続けてきた老舗は
落ちついた風情で街に明かりを灯していた。

とても美味しいので、
気仙沼へいらしたら、また通信販売でも、ぜひお試し頂けたらうれしい。

左から文子さん、千代子さん、宣子さん

たくさんおかわりしてしまった我々・・・ ご馳走様でした

気仙沼の山間部には、震災の被害を免れた「角地」という集落がある。
そこに蔵のある立派な農家があり、目の前には五反もの田んぼが広がっている。
ここに住む佐藤文子さんは、地域のためにできることを探し続け
現在は復興ボランティアの受入をされているそうだ。

食卓に並ぶのはすべて、文子さんとお義母様の千代子さんが丹精込めて育てた
無農薬のお米と野菜。
そのおいしいことったらない!
美味しすぎて食べ過ぎて太ってしまう、まさに『危険米』
とにかく格別だった。

気仙沼の「とちめんぼう」

近頃営業していないようだが、ご主人は元気だろうか

はっきり言って、ここぐらいしか営業している店が無かったので入った。
遠征活動の間、毎日、朝昼晩と唯一開いているコンビニの食事ばかり。
さすがに飽いていた。
しかし、予想に反して、「とちめんぼう」の焼きたて餃子は
すごく美味しかった!

それにしてもへんてこりんな店名。
いわれを聞くと夏目漱石の「ぼっちゃん」だと言った。

震災後、店の再開まで大変だったらしいが、
そんな話も冗談を交えて話してくれる、味のある人物だった。

その後何度か足を運んだが閉まっていて残念だ。
あの餃子が食べたい。
あの主人のからかい話を聞きたい。

大船渡の白鷺

南相馬の猫

気仙沼大島のウミネコ

人だけでなく、動物や、美しい自然も
たくさん目にしてきた。

こうした数々の出会いに感謝しながら、
これからも遠征を続けていこう。

Written by 事務局代表Masako

 

 

サンタじゃ。
今日はプレゼントを運んできたのじゃ。
急いでやってきたので、ちょっとヨレヨレじゃが。

南相馬のことはトナカイから聞いた。こどもたち、いろいろ不自由そうじゃな。
しかし、顔を見て安心したぞよ。
心配になって慌ててきたが、みんないい顔じゃ。

君たちは宝じゃ。福島の美しい自然と共にあるべき、宝物じゃ。
ずっとずっと、笑っていてくれれば良い。

Written by AFHスタッフ Yui

今回、ARTS for HOPEに入って初めて遠征活動に参加しました。

被災地に赴くのは初めての事だったので、色々な思いを巡らせながら南相馬に向かいました。

今回はアーティストの後藤朋美さんをお迎えしてのワークショップの第二回目。3日間で幼稚園や児童クラブ計6ヶ所を回りました。

最初は緊張した面持ちでやって来て、私たちとの距離を量るように様子を伺っていた子どもたち。

でも風船やシャボン玉を体いっぱいに楽しむことで体と同時に心も解れるのでしょう、絵を描く頃にはスタッフやボランティアの方を取り合うようにして、僕の、私の絵を見て!一緒に描こう!と人懐っこい笑顔で話しかけてくれるのは、どの施設の子どもたちも同じでした。その笑顔を見るたびに、私の方が元気をもらい、幸せな気持ちでいっぱいになってしまいました。

最初に訪れた上真野幼稚園では昼食の時間にも関わらず、子どもたちが帰る私たちを見つけ、教室ギリギリのところまで飛び出して姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれました。その姿に、私は涙をこらえることが出来ませんでした。

その後、空き時間に訪れた沿岸部とその近くの町の様子に、それまでの気持ちは一転、私は言葉を失いました。そして同時に、ニュースなどでその様子を知っているつもりになっていた自分を本当に恥ずかしく情けなく思いました。

でこぼこの道、津波被害に遭ったまま手付かずの家、田んぼに打ち上げられた船、静かに土ぼこりを上げながら瓦礫を運ぶ何台もの大きなトラック…そこには私たちと同じ空と陸で繋がった土地とは思えない光景が広がっていて、正直記録として写真を撮ることにも戸惑いを感じました。同時にどうしてこんなことになってしまったんだ…とやり場のない怒りを覚えました。

プログラム終了後、先生方とお話できる時間を設けて頂いた施設も多かったですが、その度にとても印象的だったのが、どの施設の先生方も明るく、時にはユーモアを交えて近況を話して下さり、こんな出来事が起こってしまったけど、その事で些細なことでも幸せと感じられるようになったんですよね、と決して現状を憎むことなく受け止めていらっしゃる強い姿でした。

そのような気持ちになるまでには、どれだけの暗い闇を、高い壁を乗り越えていらしたんだろうと私が安易に想像することも憚られますが、被災地の方々がその思いの長い長い道を辿りながら、お聞きしたような前向きな気持ちで日々を暮そうとされていることは、これからの復旧・復興を進めていく中で必ず良い結果をもたらしてくれるだろうと感じました。

奇しくも私たちが東京に戻ってきたのは震災から丁度8ヶ月経った日。

初めて訪れたこの遠征で感じた様々な思いを決して忘れることなく、これからのARTS for HOPEの活動を通して被災地の方々と真摯に向き合っていきたいと思います。

Written by Origa

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