6月 2011


今回、気仙沼でお世話になった佐藤さんのお宅から車で5分程のところにある

公会堂で気仙沼初のプログラムが行われた。


公会堂周辺のお宅から参加された女性や子ども達で、開始時間の30分前から会場は大にぎわい。

最初、「私はやらないから」と言っていた女性。
でもそんなことはいつものこと。
子ども達が作り始めると、孫と一緒におばあちゃん達が作り始める。
その回りに座っている、ご近所さん達が作り始める。笑い声や、おしゃべりに花が咲く。
気が付くと、「私はやらないから」と言っていた女性が、
「できました~!」と高々に可愛い白猫ちゃんを掲げていた。

震災後、母親が母国に帰ってしまったという女の子。
お父さんが最初連れてきた時は、しょんぼりと下を向いたまま。
AFHのスタッフと一緒にお人形を作り、同年齢の子ども達とじゃれ合って、
隣のおばさま達とおしゃべりをしているうちに、可愛い笑顔に出会うことができた。
ニコニコ顔の娘さんを見て、迎えにきたお父さんもニコニコ顔。

津波で家族を失った少女が、ニコニコと笑い出せば、おばあちゃんもニコニコ顔。
それを見ていた、ご近所さんもニコニコ。

そして笑顔が笑顔を運ぶ瞬間に立ち会えた私もニコニコしてしまった。

プログラム終了後、佐藤さん宅へ、たくさんの方から「楽しかった」と連絡が入ったという。

佐藤さんはその話を嬉しそうにしながら最後に私達にこう言った。
「震災後、家族を失った人達を訪ねてゆくことさえも憚られていたけど、
それは間違ってたって気付けたの。ありがとう。」

向き合うことを恐れずに、つながっていくこと。

内にいると動き出せないことへのきっかけが、
我々のような外部の人間に出来ることであることを願いながら、
公会堂を後にした。

Written by Nao

東京を出発して3日目最終日
気仙沼市内の落合保育園を訪れました。

保育園は閉鎖され、3/11以降避難所として使われ10人ほどが生活している。

以前マグロ漁をしていた、あきらさん(57歳)に出会いました。

私と同じ名前ということもあり意気投合?
足を痛めて今は、車いす生活。

何度か足を押さえて「いてーんだ。」「俺生きててもしょうがねえ。」って。

それから家や船が流されてしまったこと、
夜痛くて3時間くらいしか寝れないことなど話してくれた。

ハッピードールプロジェクト」が始まる。

あきらさんは重い腰をあげ、「よし、マグロを作るか。」と言ってくれた。
切った布を縫い合わせ見事なマグロを作り上げた。
「一生懸命作ったやつだ、もらってくれ」って。
ギュッと握手をしていただいた。

明日から入院して手術をすると言っていた。
以前のように元気になりますようにと祈ることしか今はできない。

Written by ボランティスタッフ Akira


東京から出発して約3時間で、福島県のいわき市に到着した。

途中、道がでこぼこで、地震の被害を感じたが、
いわき市に入っても、一見するとNewsで見るような津波被害の光景は見当たらなかった。

被災地を視察しに行こうということで、海岸を目指して車で走っていると、
急に川の中に車が突っ込んでいる様子が目に入ってきた。

そこから津波被害の光景を目にすることになった。

道路は崩れ、家は倒れて、橋は落ちていた。
ダリの絵のように、全てが歪んで見え、
自分が立っている場所が歪んでいるのかまっすぐなのかわからず、
気持ちが悪くなった。

今まで映像や写真で見ていた時には、
自分の家や町が破壊され、本当に怖かっただろう、とは思っていたが、
いざ自分がその場に立っていると、生々しくそのときの光景が想像され、
怖いという感情の前に、ぞくっとした妙な緊張感を覚えた。

ぐちゃぐちゃになった家に、”家族全員無事です”という張り紙があり、
少しだけ安心することが出来た。

今回のプランの1箇所目の避難場所の体育館に到着した。
体育館の周りではおじさんたちが談笑していた。

中に入ると、ダンボールで仕切られた居住場所があり、
テレビがおいているスペースがあった。

今回は、テレビ前のスペースで、人形を作る、Happy Doll Projectを行うことになった。

テレビの近くに座っていたおじさん達が、何するんだー?と話しかけてきてくれた。
みんなで人形を作りましょう。というと、そんなの作らねーよ、という返事。

それでも、準備を始めるうちに、数人のおじさん、おばさんが集まってきてくれて、
今まで皆さんが作られた作品を見ていた。

1人のおじさんと、何か作りましょう、と話をしていて、
かばんを作りたい、ということになった。

かわいらしい、動物のキャラクターの生地を選んで、
これで、作る、とおっしゃった。
作ってくれ、といわれたけれど、私は今回初めてこのプログラムに参加し、
縫い物は小学校以来、(そしてかなりの不器用)だったので、
どうやって作るんですかねぇ、と困っていると、
「おめぇ、何しにきた。教えてくれるんじゃねぇのかよー。」とのお言葉。
おっしゃる通りなんですが、「教わりにきました。」と返答し、
おじさんに縫い物をお任せし、横で見学。
すると、おじさんはするする針に糸を通し、ちくちく、丁寧に、細かく縫っていかれる。
あぁ、すごいやぁ、と見ていると、
おじさんはどんどん真剣になり、とても綺麗なかばんが出来上がった。
「すごいですね、師匠」と声をかけると、
照れながら、「何で俺が作らなきゃいけないんだ」と嬉しそうでした。

出来上がったかばんもお見事で、お風呂に行く際に、これに着替えをいれて持っていくんだ、と、
おっしゃっていました。

周りの方も、XXさん、そんな性格だっけー。仕事が細かい!と驚かれていて、
新たな一面を発見された様子でした。

今回の地震・津波の被害は、皆さんの家を奪っただけではなく、
日々の生活、自分のやるべきこと、毎日の仕事を奪っていったんだな、と思いました。
今まで普通にしていたすべき事・したい事が出来なくなったという事は、とても寂しい。

今回のプロジェクトを通して、何かに夢中になる事が、みなさんの毎日を創っていくんだ、と、
少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにかばん作りを完成されたおじさんの表情を見て思いました。

ラジオを入れる袋を作ってもらい、本当にありがとう。大事にします、
と何度も言ってくれたおじさん、
照る照る坊主と魚の人形を持って、とても嬉しそうにしていたおじさん、
ピンクのかわいい人形をつくり、胸につけた、おしゃれなおばさん、
放射能の事で、差別しないでくれ、自分たちは何を言われても良いが、
そんなことを言われる子供がかわいそうだ、と必死におっしゃっていたおじさん。

最後はみんなで談笑し、今日はご苦労様、との言葉をもらい、私たちは気仙沼に向かいました。

私は、誰かの為に、何かが出来るわけでも無いけれど、誰かと一緒に何かをすることだけは出来ると思いました。

Written by ボランティアスタッフ Shinobu

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