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石巻から仙台へ

石巻から仙台へ

早朝、石巻の町に入った。
また打ちひしがれるようなショックな状態だろうか?

ドキドキしながら進むと、想像したよりはきれいだ。

少しほっとした。

しかし、甘かった。

目の前に現実がどんどん突きつけられた。

おもちゃの船や車のように、こともなげに建物に突き刺さり、
投げ出されている。

異様だ。

通常ありえない視覚体験を、延々と現出させる自然界の力。

石巻は陸の孤島と言われていたそうだ。

壊れた商店街や住居を歩いていると、
明治、大正時代のものと思われる趣のある家具や金庫なども散乱し、
古く趣のある家が立ち並んでいたのだろうと想像される。
震災前に訪れておくべきだったと、非常に悔やまれる。

すべてのものを飲み込んだ津波が、洗濯機のようにかき回して破壊し、
放り出された瓦礫の山がどこまでも続く情景。
その上には、洗濯したてのようにさわやかな青空が広がっていた。
電線のなくなった空が、皮肉にもすっきり美しい。

3階の窓から望む被災地

全焼した小学校の廊下と教室

石巻の小学校前景

石巻港から内陸へ入っていき、突きあたりの高台に学校が建っていた。

近づくと、校庭だったと思われる場所に何十台もの車が積み上がって、
燃えただれていた。

この小学校は、災害時の避難場所に指定されていたらしい。
大地震の後、津波から避難するための車で
この辺りはひどい渋滞になったそうだ。

そこへ津波が押寄せた!
渋滞の車は一気に突きあたりの学校に押し寄せ、
壊れた大量の車から引火して大火事になった。
それは学校に燃え移り、
子どもたちと、避難してきた人々をも巻き込んだ、と聞いた。

ここを素通りしてはいけない!
という感じが強くした。

学校内に足を踏み入れた。

なにかざわざわと、激しい感情が襲ってきた。

火の及んだところはすべて黒々と、燃えかすしか残っていない。
本当に無残で虚しい。

燃えずに残っている部分は、人々の逃げ惑う恐れや狂乱が感じ取れる。
蹴散らされた机や椅子。激しく乱れた足跡。ランドセル。小さな運動靴。

地震の揺れがあり、津波が来て、火事もやってきた。
その中を子どもたちは、どのようにしていられたのだろう?
たくさんのシーンが目に浮かんでくる。
喧騒が、叫び声が聞こえてくる。

2階、3階へと歩くうちに、もうたまらなくなって泣きじゃくった。

本当に大変なことがここで起こったのだ。
そして、実は被災地全域のあちこちで、
このような悲惨なことがたくさん起こったはずだ。

それに直面した子どもたち、人々と
これから私たちは向き合っていくのだということを
改めて真剣に考えていた。

避難所の石巻中学校で

 

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