3_ボランティアスタッフ

ボランティアスタッフによる活動報告です。

7月11日(月)「鹿島幼稚園」
7月8日(金)〜7月12日(火)までの5日間、ARTS FOR HOPEの活動にドライバーその他お手伝いということで参加させていただきました。津波、そして原発事故の影響が大きい南相馬市を主にたくさんの子供たちと「夢のお絵描き会」を通じて交流してきました。その中から7月11日(月)の鹿島幼稚園での活動をレポートします。

 

 

梅雨明けの暑さの中、鹿島幼稚園に到着し、ばたばたと子供たちを迎える準備をする。今回は5〜6歳の子供たち約50人ということで、活動を行った5日間の中で一番人数が多い。そこへ子供たちがぞろぞろやってきたが、みんなきれいな格好をしている。クレヨンや絵の具で汚れる準備ができていない。ということで幼稚園の先生がたに説明し再度準備をしてもらう。再登場した子供たちはパンツ一丁でわくわく顔全開!!見ているだけでこちらも楽しくなる。
お絵描きが始まると子供はそれぞれで面白い。何の迷いもなく描きたいものを描く子。迷って何も描けない子。みんなで一緒に同じ絵を描く子たち。しかし、しばらくするとみんな自由にそれぞれのペースで描いている。
クレヨンでも絵の具でも子供は色を混ぜるのが好きみたいで、ひたすら混ぜて色の変化を楽しんでいた。特に絵の具は手足に塗りたくっては大きな紙に押し当てて遊んでいた。最後はみんな大きな紙の上を走ったり、踊ったり自分の足跡を付けて大はしゃぎ。幼稚園の先生方も最初は子供たちの汚れを気にかけていましたが、最後は楽しそうに遊ぶ様子をみてニコニコしていました。お絵描き会終了後、子供たちの体を洗いながら「今は外で遊べないから、思い切り遊べてよかったね。」と子供たちに話していました。鹿島幼稚園の子供たちはみんな元気で、最後は裸になって体を洗っている子もいました(笑)

鹿島幼稚園の他にも、今回訪問した臨時児童クラブ、保育園等の子供たちは計画的避難準備区域のため屋内退避とされており、屋外での活動は通園、通学も含めてしてはいけないので、運動は体育館等屋内でしているそうです。子供たちも、「最近はテレビやゲームばかりやっていたので楽しかった!」とか「広い遊び場で遊びたい」と、もらしてる子もいました。
しかし、子供たちは元気にふざけたりしながら、自分の興味有ることに一生懸命に生活しています。今回、AFHの活動に参加して、津波の被害のひどい場所や人々が普通に暮らす街を訪れて感じたことは、沿岸部などはまだ瓦礫だらけですが、3.11直後よりは少しだけど整理されてきている。港町では営業している旅館もあり、たぶん災害復旧工事の作業員やボランティアが宿泊しているようです。復興まではまだまだですが、これからは日本人一人でも多くの人が現地に赴き、福島や被害地域の復興に興味を持ち自分にできることをしていく時だと感じました。

 

 

その他、活動の合間に食事でレストランに入ると節電のためエアコンがほとんど効いていない状態で、食事をして体温が上がると汗だくになるくらいでした。仮設住宅も個人のスペースはエアコンを控えめにし、集会所等人が集まるところでは使用するという感じでした。やはり事故のあった原発が近いということで意識が高いのか、東京よりよっぽど節電していました。情報では実は節電は必要ないとか、やはり必要だとかやっていますが福島の人々はしっかり節電しています。仮に節電は必要なくても原子力で発電した電気は使いたくないという心情かも知れません。ただでさえ仮設住宅等で不自由な思いをして、節電にも気を使っている人々に正しい情報を伝えて欲しいです。そして、都市部に住んでいる自分も含めてはっきりするまでは節電しましょう!

最後に、出発3日前くらいに今回の活動に参加したいと申し出た自分を、快く迎え入れてくれたAFHのみなさんに感謝いたします。あと福島で出会った子供たちや関係者のみなさんにもいろいろお世話になりました。
ありがとうございました。

Written by ボランティアスタッフ Yasu

9日の角田東グランド仮設住宅で一人のおばさんに「針がなくて困っているから、一本ほしい」と言われた。裁縫道具はある(多分貰った)とのことで糸はあるらしいが、針が短くて使えないらしい。
ショックでした、針もないの?って。本当に「家を失うってこういう事なのか」という事を、やっと遅まきながら実感として理解した次第。
「ここにいる人達は本当に何もかも無くしてしまった人達なんだ」とも。

なのに、その時ちょうど針が出払っていて足りない状態!後でと思い、スタッフには伝えたものの、私自身は男の子たちと人形作りに夢中になってそのままに!ごめんなさいおばさん、帰る時に「ありがとね」なんて声かけてくれたのに。

既に震災から4ヶ月、ミシン大好きな私には、4ヶ月も針と糸のない生活は考えられない。長く入院した後、職場には復帰していても、ミシンで(日常やっていた)袋作りを一生懸命してやっと社会復帰をしたな~と思った事も思い出した。

日常的にやっていた好きな事を、夢中でやることが、精神的な復帰にはきっと有効なんだと思う。
ちっちゃい,アイちゃんを叱りつつ黙々と凝ったウサギの縫いぐるみを作っていた若いおかあさん、きっと私と同じ種類の人に違いない。

「もっと作りたい、午後はやらないの?」って、2ケ目も出来ていないうちから、「次は、何作ろう!!!」なんて創作に飢えていた少年兄弟。
出来上がったホチキス止めのドラゴンを皆に褒められて輝くような笑顔で記念写真撮られていました。仲いい兄弟、優しいお兄ちゃんといつまでも仲良くね。と願います。

 


絵の具で子供たちがのびのびと、楽しそうにはしゃいでいるのは本当にいいものですね。特に不自由な抑圧された状況では、いい活動だと思います。
それと、継続的な活動をされていることが(顔見知りの子供たちがいたりして)素晴らしいと思います!
今後もAFHの活動を陰ながら応援しています。暑い季節ですが、みなさんお体に気を付けてキャラバン続けられますように!

Written by ボランティアスタッフ Terumi

東京を出発して、3日目。
相馬市内の仮設住宅で、ハッピードールの日。

ひなたちゃん(5歳くらい)と、彼女の本日2品目の作品、「クリスマスツリー」づくりに取り掛かっていた時のこと。

小学1年生のよっちゃんが、「これ貼れよ」と、キラキラのスパンコールをひなたちゃんに突然差し出した。
二人は初対面だったらしく、また、よっちゃんの1年生とは思えぬ体格の良さとガキ大将キャラもあってか、ひなたちゃんは黙り込んだ。
が、スパンコールに心ときめいたらしく、わくわくした表情で、よっちゃんの言う通り、ボンドで貼ることに。
「キレイ!」。と、ひなたちゃん。
二人は打ち解けた。よっちゃんがボンドを上手に使う指導と次に貼るスパンコールを指示し、ひなたちゃんがそれに従った。

よっちゃんは、ひなたちゃんに「教えるのが上手だね。うちのお兄ちゃんよりすごい」と言われ、ますます指導に熱が入った。
「ひなたちゃんは、何が好き?」と聞き、ひなたちゃんが「りんご」と答えると、マジックでツリーにりんごを描き加えたりもした。

そして、ついに完成したキラキラがいっぱいのツリー。喜んだのは、ひなたちゃん以上に、よっちゃんでした。「俺が教えたんだよ!!!俺とひなたちゃんが作ったんだよ!」と言いふらしていました。

解散後、私はひなたちゃんと、よっちゃんと、よっちゃんの弟をお部屋まで送りました。よっちゃんは、自分のお部屋を通り過ぎてひなたちゃんをお部屋まで送り、「バイバイ」と玄関へ消えようとするひなたちゃんに、「おまえ、日曜日暇?遊ぼうぜ。また来るから、おまえも俺の家来いよな!」と叫んでおりました。
・・・・・・かわいい。よっちゃんが、ひなたちゃんを大好きになってしまったことが全身から溢れ出ていて、また、その中に、「この子は俺がなんとかしてやらなければ」というような男らしさ(?)も感じ、微笑ましくて仕方なかったです。

ところで、活動の最中、福島沖でマグニチュード7.1の地震が起きました。仮設住宅内の避難所も、震度4の比較的長い揺れ。その時の大人の方々に走った緊張感と、子どもたちの反応。楽しい活動の中で、私は、「私と今目の前にいる人たちの、ここにいる意味は違うのだ」ということを忘れることが出来ていたのですが、その時には、また、一瞬で思い出したのでした。

さて、ひなたちゃんを無事に送り、今度は私がよっちゃんをお部屋まで送り、お別れのとき。
「おまえはどこの家?」と、よっちゃん。「東京から来たんだよ」と答えると、「あ、そうなの?うん。じゃあ、また会おうな!!」。
自分が放つ言葉の重みを考え、一瞬迷ったけれど、私はよっちゃんに言いました。
「また会おうな。よっちゃん、頑張れよ!」。
するとよっちゃん、即答。「おう。おまえも、頑張れよな!」
・・・やっぱりなぁ。よっちゃんなら、そう言ってくれると思ったんだよなぁ。なんだか嬉しくて、笑ってしまった。
「うん、頑張る。じゃあね」。

私はまた東京で、世界平和のために、目の前の小さな仕事をコツコツやっていけるな。
そう確信しながら、走って集会所に戻りました。

Written by ボランティアスタッフ Satomi

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