宮城県

宮城県で開催されたプログラム

石巻の風景2

石巻に着いて、仮眠もできずに一歩二歩…
気が付いたら駐車場から2キロ近くも歩き海に出ていました。
海に近づくにつれて建物の崩壊状態がひどくなり、悪臭が立ちこめていました。

川はアブクが発生し、お墓はなぎ倒され、
畑だったところが黒いがれきに埋め尽くされて…
絶望と空虚な景色が辺り一面に広がっていました。

こんなところでいったい何ができるのか…
正直不安でいっぱいになりました。

しかし子どもたちの笑顔は被災地だろうと、住むところが無くなろうと、
変わることが無くとても眩しかったです。
その無邪気な笑顔に励まされたり、癒されたり、感動したり…

子供は宝とよくいいますが、今回ほど実感したことはありませんでした。
子どもたちの屈託のない笑顔に僕の方が元気をもらってしまった感じです。
あの笑顔に救われて今回の活動を乗り切れた気がします。

大人にはその笑顔を守る義務があります。

今回の未曾有の被災で現地の大人たちも大変な苦労だと思います。
決して表には出さないでしょうけれども被災地のみなさん心に大きな傷ができていると…
おこがましいですが、
少しでも現地のみなさんの負担を軽減することができたのであれば良いのですが。

左より  ボランティアのShigeちゃん、Sayakoさん、宮城チームリーダー小関さん、 ボランティアのマイケル、事務局Yuiちゃん

今まで以上に世の中の多くの人々が被災地の子供の笑顔を守るために、

さらなる復興支援を考えて実行してくれる事を願っています。

僕もこれからも長いスパンで色々な活動に積極的に参加したいと思いました。
ARTS for HOPEの活動で今改めてそう思いました。

Written by ボランティアスタッフ Shige

色々な事情で親と離れている子供たちの施設、旭ヶ丘学園は
震災で直接被災していないが、付属施設が被災して、
そこの子供たちと先生が移動してきたと聞いた。

今回の気仙沼活動のお世話をして下さった佐藤さんは、
港より30分ほど離れた山の方にお住まいなので、直接に被災されていないが、
3月11日からまるで時計が止まったような日々で、遅い桜が咲いた5月になって初めて、
あ、春が来たのだ、と気がつき、冬服を脱いだ、とお話しされていた。

この地域の方々は皆多かれ少なかれ被災しているのだ。
この施設の子供たちも様々な影響を受けているのだろう。

到着したら、近づいてきた男の子に、どう見てもやさしそうには見えない私に対して、
僕のことだっこ出来る?と聞かれ、よーし、抱っこしてみようか!

えい、ちょっと重いけどだっこ出来るよ!と答えたが、心が溶けてしまった。
何のことはない。私が心のケアをされてしまった。

準備を始めたら、一生懸命荷物運びしたり、養生シートを貼ったりするのを手伝う子どもたち。

すでに私達のことを先生から聞いていたのか、今日はお人形つくりはしないの?と、聞いてくる子。
皆本当に可愛い。

子どもたちはおかたづけも、手伝ってくれた。

くっついて来て、今日は楽しかった、と言いに来た一番小さな子。
こんなに小さな子なのに、東京から来た私達を気遣ってくれているのかしら。

最後まで私が心をいやされた旭ヶ丘学園のこどもたちとの3時間だった。

この施設に入所して間もないらしい女の子が、
終始下を向いて言葉を発しなかったので気になったが、
最後までお絵描きは黙々とおこなっていたので、うれしかった。

復興への道は永く、これから人々の不安はより大きくなるかもしれない。

まだ私にはこの活動の行きつく先が分らないけれど、
今、このことにかかわるチャンスをいただいたので、
目の前にある出来ることを続けていきたいと思った初めての現地活動でした。

Written by Atsuko

本日のメンバー:左から

ボランティア(ドライバー)あきらさん、宮城現地リーダー小関さん、
今回の宿泊やプログラムコーディネイトでお世話になった気仙沼の佐藤さん
事務局のあつ子さん、ボランティア(記録)やぶさん、事務局尚ちゃん

皆さん、お疲れ様でした~。


今回、気仙沼でお世話になった佐藤さんのお宅から車で5分程のところにある

公会堂で気仙沼初のプログラムが行われた。


公会堂周辺のお宅から参加された女性や子ども達で、開始時間の30分前から会場は大にぎわい。

最初、「私はやらないから」と言っていた女性。
でもそんなことはいつものこと。
子ども達が作り始めると、孫と一緒におばあちゃん達が作り始める。
その回りに座っている、ご近所さん達が作り始める。笑い声や、おしゃべりに花が咲く。
気が付くと、「私はやらないから」と言っていた女性が、
「できました~!」と高々に可愛い白猫ちゃんを掲げていた。

震災後、母親が母国に帰ってしまったという女の子。
お父さんが最初連れてきた時は、しょんぼりと下を向いたまま。
AFHのスタッフと一緒にお人形を作り、同年齢の子ども達とじゃれ合って、
隣のおばさま達とおしゃべりをしているうちに、可愛い笑顔に出会うことができた。
ニコニコ顔の娘さんを見て、迎えにきたお父さんもニコニコ顔。

津波で家族を失った少女が、ニコニコと笑い出せば、おばあちゃんもニコニコ顔。
それを見ていた、ご近所さんもニコニコ。

そして笑顔が笑顔を運ぶ瞬間に立ち会えた私もニコニコしてしまった。

プログラム終了後、佐藤さん宅へ、たくさんの方から「楽しかった」と連絡が入ったという。

佐藤さんはその話を嬉しそうにしながら最後に私達にこう言った。
「震災後、家族を失った人達を訪ねてゆくことさえも憚られていたけど、
それは間違ってたって気付けたの。ありがとう。」

向き合うことを恐れずに、つながっていくこと。

内にいると動き出せないことへのきっかけが、
我々のような外部の人間に出来ることであることを願いながら、
公会堂を後にした。

Written by Nao

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